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著作権コンサルタントをしています。クリエーターの卵から世界的に著名なアーティストまで、コンテンツビジネスや著作権にかかわる法律問題について、グローバルに支援しています。 カネダ著作権事務所 http://www.kls-law.org/

2025年10月29日水曜日

判例/同一の原書からの2つ翻訳文の侵害性が争われた事例

 

同一の原書からの2つ翻訳文の侵害性が争われた事例

平成30227日東京地方裁判所[昭和59()11837] ▶平成40924日東京高等裁判所[平成3()835]

() 原告は、昭和582月から、かねてより関心をもち、研究をしていたフランスの作家Cの作品の一つで、1955年に出版された「Lanuit de Saint-Germain des-Pre′s」(以下「本件原書」)の翻訳を始め、同591月初めころまでにその翻訳を終え、「サン・ジェルマン・デ・プレの夜」という題号を付した(「原告翻訳文」)。

 

右認定の事実によれば、被告Bは、被告翻訳書の原稿とほぼ同一の内容の翻訳文を、原告が原告翻訳文の執筆を始めたと主張する昭和582月より以前に発表していたのであり、しかも、その内容は、原告翻訳文の当該部分と比べ、同一の原書の翻訳文としては、非常に異なる文体の表現であると認められる。このことは、右三1の認定判断のうち、被告Bが、昭和57年中に本件原書の初めの部分を試訳し、これが被告翻訳書の原稿として使用されたという事実に符合するものである。

(二) 前掲甲第二号証(原告翻訳文)及び乙第一号証(被告翻訳書)によれば、原告翻訳文と被告翻訳書の各表現を対比すると、例えば、別紙一及び五のとおりであつて、両者の表現は、文体及び語調等において、同一の原書の翻訳文としては非常に異なるものであるといわざるをえず、また、右各別紙で引用した部分以外の部分も、その表現は右と同程度相違するものであると認められる。

ところで、複数の翻訳文が存在する場合、基にした原書が同一である限り、互いに他を複製したものでなくとも、内容や用語自体の多くが同一の表現となることは、むしろ当然ともいえるのであり、右の点に同一の部分があるからといつて、それだけで直ちに両者のどちらかが他を複製したものと認めることはできないところ、右認定のとおり、原告翻訳文と被告翻訳書は、その文体及び語調等の表現が非常に異なるものであり、その表現の相違自体からも、両者は、全く別個に執筆されたものであると推認するに十分である。この認定判断も、右三1の認定判断と符合するものである。

 

[控訴審同旨]

四 ところで、控訴人は控訴人翻訳原稿に用いられている個々の訳語の無断使用について著作権侵害を主張しているものではなく、右無断使用により翻訳原稿全体についての著作権侵害、すなわち複製権及び氏名表示権が侵害された旨主張するので、以上の認定判断を前提として、右主張について、以下判断する。

1 まず、複製権の侵害の点についてみるに、著作物の複製とは、「既存の著作物に依拠し、その内容及び形体を覚知させるに足りるものを再製することをいう」ものと解される(最高裁昭和5397日第一小法廷判決)から、右見地から、以下検討する。

本件訳書が控訴人翻訳原稿に部分的に依拠しているものと推認し得ることは、既に前項に認定判断したとおりであるから、進んで、本件訳書が、控訴人翻訳原稿の全体についてその内容及び形体を覚知させるに足りるものか否かについて、以下、両者の翻訳文に即して検討することとする。

本件原書の翻訳上の基本的態度が、控訴人においては、原文に絶対的に忠実であることを最も重視するのに対し、被控訴人Aのそれが、読者の理解を第一とする結果、原文からの拘束を極めて緩やかに解することは、既に前項に認定したとおりであり、かかる翻訳上の基本的態度の相違に基づき、控訴人翻訳原稿においては、原文に付加、削除を加えず、かつ、原文の表現形式を尊重する結果、原文が長文であれば、訳文も長文となる傾向を有するのに対し、本件訳書においては、本件原書をハードボイルド小説と捉え、読者の理解の得られ易さを第一とする結果、原文に対する付加、削除を必要に応じて行うとともに原文の長文も短文に分解して翻訳する傾向を有するなど、両者は、その基本的構造、語調、語感を大きく異にすることは、控訴人翻訳原稿と本件訳書を読み比べれば、一見して明らかであり、この点は、控訴人においても認めるところである。

(以下、略)

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