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2025年12月9日火曜日

判例/映画「七人の侍」vs.大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」/著作物の著名性と翻案性

 

映画「七人の侍」vs.大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」/著作物の著名性と翻案性

平成161224日東京地方裁判所[平成15()25535]▶平成170614日知的財産高等裁判所[平成17()10023]

1 被告脚本による原告脚本の著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権))侵害の有無(争点1)

(1) 「翻案」(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照),既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア等において既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決参照)。

したがって,被告脚本が原告脚本を翻案したものと評価されるためには,被告Cが,原告脚本に依拠して被告脚本を作成し,かつ,被告脚本から原告脚本の表現上の本質的な特徴を直接感得することができることが前提となるが,その際,具体的表現を離れた単なる思想,感情若しくはアイデア等において被告脚本が原告脚本と同一性を有するにすぎない場合には,翻案に該当しないというべきである。

そこで,まず,原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から直接感得することができるか否かについて判断する。

本件において,原告らは,次の①ないし④の各類似点において原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から直接感得することができると主張している。

また,原告らは,①ないし④の各類似点の主張に加えて,①ないし④の類似点が組み合わされることによって,原告脚本全体が想起されるようになり,被告脚本が原告脚本の模倣作品と評価されるとも主張している。

① 村人が侍を雇って野武士と戦うというストーリー

② 別紙対比目録1記載の9箇所(6及び11を除いたもの)の類似

③ 西田敏行の演じた内山半兵衛と志村喬の演じた島田勘兵衛,寺田進の演じた追松と宮口精二の演じた久蔵の類似

④ 戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現

そこで,原告らの上記主張に即して,まず,上記①ないし④の各類似点において,原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から直接感得することができるか否かについて,検討することとする。

()

エ 戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現について

原告脚本の最後の戦いの場面は,雨中での戦いとして,極めて著名な場面である。そして,被告脚本においても,最後の戦いは雨中で行われるほか,冒頭の関ヶ原合戦後の場面において,霧ないし雨が使用されている。しかし,被告脚本において霧ないし雨の場面を設定したことから,直ちに原告脚本の表現上の本質的な特徴を感得させるものということはできない。ちなみに,関ヶ原合戦後の場面において霧がたちこめているのは,関ヶ原の合戦の史実とも符合し,原告映画と同時期に製作された稲垣浩監督「宮本武蔵」においても関ヶ原の合戦における霧の場面がある。

オ 類似する諸要素の有機的結合について

原告らは,原告脚本の本質的特徴は,①村人が侍を雇って野武士と戦うというストーリー,②別紙対比目録1(ただし,6及び11を除く。)記載の各場面,③登場人物の人物設定,④戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現という各要素を有機的に結合して完成した全体にあるところ,被告脚本の読者は,これを被告脚本から直接感得することができるとして,著作権(翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害を主張する。

たしかに,ある著作物(原告著作物)におけるいくつかの点が他の著作物(被告著作物)においても共通して見受けられる場合,その各共通点それ自体はアイデアにとどまる場合であっても,これらのアイデアの組み合わせがストーリー展開の上で重要な役割を担っており,これらのアイデアの組み合わせが共通することにより,被告著作物を見る者が原告著作物の表現上の本質的な特徴を感得するようなときには,被告著作物が全体として原告著作物の表現上の本質的な特徴を感得させるものとして原告著作物の翻案と認められることもあり得るというべきである。

そこで本件についてみるに,たしかに原告脚本と被告脚本は,村人が侍を雇って野武士と戦うという点においてストーリーに共通点が見られ,また,別紙対比目録1(ただし,6及び11を除く。)記載の各場面において,アイデアにとどまるものではあるが,共通点が見られ,登場人物の設定の点でも,内山半兵衛(被告脚本)と島田勘兵衛(原告脚本)の間,追松(被告脚本)と久蔵(原告脚本)の間に一定の共通点が見られる。しかしながら,既に前記イ,ウにおいて検討したとおり,別紙対比目録1(ただし,6及び11を除く。)記載の各場面については,原告脚本と被告脚本との間でストーリー全体のなかでの位置づけが異なる上,具体的な描写も異なるものであり,また,人物設定の点もストーリーのなかでの当該人物の役割やその性格づけに着目すれば類似するものとは認められない。そして,原告脚本においては,原告らの挙げる上記の各場面のほかに多くのエピソードが描かれており,島田勘兵衛及び久蔵のほかに多くの個性的な人物が登場するものであり,そこでは,7人の侍について各人の個性が見事なまでに描き切られており,作品全体を通じて,侍たちの義侠心と村人に対する暖かい視線,野武士との闘いを通じて形成される侍たち相互そして侍たちと村人との間の心の触れあいと連帯感,一見非力な農民のしたたかさ・力強さ等のテーマが,人間に対する深い洞察力に裏打ちされた豊かな表現力をもって,見る者に強烈に訴えかけられているものである。これに対して,被告脚本においては,主人公武蔵が歴戦の武芸者から薫陶を受けるとともに自己の強さを自覚する契機として野盗との戦闘場面が設定されているにすぎない。原告脚本と被告脚本の間に上記のようなアイデア・設定の共通点が存在するとはいっても,原告映画をして映画史に残る金字塔たらしめた,上記のような原告脚本の高邁な人間的テーマや豊かな表現による高い芸術的要素については,被告脚本からはうかがえない。

上記によれば,原告らが原告脚本と被告脚本との類似点として挙げる各点を総合的に考慮して,原告脚本と被告脚本を全体的に比較しても,原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から感得することはできないから,被告脚本をもって原告脚本の翻案ということはできない。

カ 結論

上記によれば,原告脚本と被告脚本とを対比すると,前記のとおりいくつかの場面において一定の共通点が認められるが,共通する部分はアイデアの段階にとどまるものであり,登場人物の人物設定についても類似するものとは認めらい。また,原告脚本と被告脚本との間には,ストーリー全体の展開やテーマにおいて相違があり,結局,原告脚本の表現上の本質的な特徴を被告脚本から感得することはできないから,被告脚本による原告脚本についての著作権(翻案権)及び亡黒澤の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)の侵害は認められない。

 

[控訴審同旨]

当裁判所も,著作権法27条にいう「翻案」とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいい,したがって,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのを相当とする(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決参照)。前記映画は,原判決も指摘するように,前記番組に比しはるかに高い芸術性を有する作品であることは明らかであるものの,以下に述べるとおり,前記番組が前記映画との間で有する類似点ないし共通点は結局はアイデアの段階の類似点ないし共通点にすぎないものであり,前記映画又はその脚本の表現上の本質的特徴を前記番組又はその脚本から感得することはできないというべきであるから,前記番組がDの有する前記著作権(翻案権)を侵害するものではない。その理由は,Dの有する著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)に対する判断を含め,次のとおり付加するほか,原判決「事実及び理由」欄の第3の1~4のとおりであるから,これを引用する(ただし,原判決38頁下7行目の「7人」を「6人」に訂正する。)。

2 当審における控訴人らの主張に対する判断

(1) 本件の特異性と題する部分について

ア 控訴人らは,対象となる原著作物が著名である場合には,その翻案との類比の判断は容易であり,全体的な対比を行わなくても,一つ二つの特徴的な場面を抜き出しただけでも,一般人は両者を類似であると判断することができること,被控訴人らは自らの作品(被控訴人原作小説という著名な作品の翻案)の一部に「七人の侍」のストーリー及び象徴的な場面を一種の劇中劇のような形で取り込み,はめ込んだもの(はめ込み型模倣)であって,従来の手法による対比は有効ではないこと,翻案者にとっては,「七人の侍」のように対象となる原著作物が著名である場合には,何をどの程度避ければ盗作といわれないかについて明白な予想ができることなどを理由に挙げ,それが無名の著作物である場合と比べて,翻案との類似度が低くても,「感得」の要件が満たされると判断すべきであると主張する。

しかしながら,著作権法の保護を受ける著作物とは,「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法2条1項1号)であり,それが著名であるか否かによって,その保護に差異があるということはできない。そして,「翻案」(著作権法27条)とは,前述のように,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいうところ,著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得するものであるか否かも,対象となる原著作物が著名であるか否かによって差異があるということはできないから,控訴人らの上記主張も採用することができない。

イ また,控訴人らは,本件は,不正競争防止法が直接適用される事案ではないが,不正競争防止法的考察は,本件を理解するために不可欠であり,不正競争防止法2条1項2号の趣旨を引用して,本件における,「七人の侍」の著名なストーリー及び象徴的場面を盗用した被控訴人らの行為は,「七人の侍」が有している顧客吸引力にフリーライドし,控訴人らの名声を害する不正競争の行為であるなどとも主張する。

しかしながら,本件が不正競争防止法が直接適用される事案ではないことは,控訴人らも自認するとおりであるところ,不正競争防止法は,「事業者間の公正な競争及びこれに関する国際的約束の的確な実施を確保するため,不正競争の防止及び不正競争に係る損害賠償に関する措置等を講じ,もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」(不正競争防止法1条)ものであり,「著作物並びに実演,レコード,放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め,これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ,著作権者等の権利の保護を図り,もって文化の発展に寄与することを目的とする」(著作権法1条)著作権法とは,その立法趣旨,保護対象等を全く異にするから,不正競争防止法2条1項2号の趣旨が著作権法に関する紛争である本件に及ぼされるものということはできない。そして,著作権法上,著作物が著名であるか否かによって,その保護に差異があるということはできないことは上記のとおりであり,原告の上記主張も採用することができない。

(2) 原判決の判断の誤りと題する部分について

控訴人らは,対象となる原著作物が著名である場合には,それが無名の著作物である場合と比べて,翻案との類似度が低くても,「感得」の要件が満たされると判断すべきであることを前提とした上で,被控訴人らは,自らの作品である「武蔵 MUSASHI」(「宮本武蔵」という著名な原作小説の翻案)の一部に,「七人の侍」のストーリー及び象徴的な場面を,一種の劇中劇のような形で取り込み,はめ込んだ「はめ込み型模倣」ないし「象徴場面型模倣」であって,「怪しい男が実は女であったという場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点1),「侍の腕試し場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点2~5),「野盗との戦闘場面」(原判決別紙対比目録1記載の類似点7~10),島田勘兵衛(七人の侍)と内山半兵衛(武蔵 MUSASHI)及び久蔵(七人の侍)と追松(武蔵 MUSASHI)の人物設定,「戦場や村に漂う霧及び豪雨の中の合戦の表現」,「注意を引きつけるために物を投げる場面」(原判決添付別紙対比目録1及び2記載の6)及び「武蔵が地面に突き立ててあった刀で戦う場面」(原判決添付別紙対比目録1及び2記載の11)について,原判決が相違するとした点は,いずれも「はめ込み型模倣」ないし「象徴場面型模倣」の当然の帰結にすぎない等と主張する。

しかしながら,対象となる著作物が著名である場合には,それが無名の著作物である場合と比べて翻案との類似度が低くても「感得」の要件が満たされると判断すべきであるとの前提を採用し得ないことは,上記(1)のとおりである。そして,「七人の侍」と「武蔵 MUSASHI」を対比すると,いくつかの類似点ないし共通点が認められるが,これらはいずれもアイデア等,表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって,後者の表現から前者の表現上の本質的な特徴を直接感得することができないことは,原判決も詳細に説示するとおりである。控訴人らの上記主張も採用することができない。

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判例/創作性の程度と保護の範囲

 

創作性の程度と保護の範囲

▶平成141029日東京高等裁判所[平成14()2887]

著作権法において,著作物とは,「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(著作権法2条1項1号)と定義されている。同規定によれば,ある表現が著作権法上の著作物として同法の保護を受ける著作物であるというためには,それが,「文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」であること(この要件は,主として実用品について問題となるものであり,本件では問題とならない。)に加えて,それが,①思想又は感情の表現であること,②創作的表現であること,すなわち創作性を有すること,が必要である。単なる事実の記述は思想又は感情の表現であるということはできない。もっとも,単なる事実の記述のようにみえても,その表現方法などから,そこに筆者の個性が何らかの形で表われているとみることができるような場合には,思想又は感情の表現があるとみて差し支えない。

著作物と認めるためのものとして要求すべき「創作性」の程度については,例えば,これを独創性ないし創造性があることというように高度のものとして解釈すると,著作権による保護の範囲を不当に限定することになりかねず,表現の保護のために不十分であり,さらに,創作性の程度は,正確な客観的判定には極めてなじみにくいものであるから,必要な程度に達しているか否かにつき,判断者によって判断が分かれ,結論が恣意的になるおそれが大きい。このような点を考慮するならば,著作物性が認められるための創作性の要件は厳格に解釈すべきではなく,むしろ,表現者の個性が何らかの形で発揮されていれば足りるという程度に,緩やかに解釈し,具体的な著作物性の判断に当たっては,決まり文句による時候のあいさつなど,創作性がないことが明らかである場合を除いては,著作物性を認める方向で判断するのが相当である。

ある表現の著作物性を認めるということは,それが著作権法による保護を受ける限度においては,表現者にその表現の独占を許すことになるから,表現者以外の者の表現の自由に対する配慮が必要となることはもちろんである。このような配慮の必要性は,著作物性について上記のような解釈を採用する場合には特に強くなることも,いうまでもないところである。しかし,この点の配慮は,主として,複製行為該当性の判断等,表現者以外の者の行為に対する評価において行うのが適切である,と考えることができる。一口に創作性が認められる表現といっても,創作性の程度すなわち表現者の個性の発揮の程度は,高いものから低いものまで様々なものがあることは明らかである。創作性の高いものについては,少々表現に改変を加えても複製行為と評価すべき場合があるのに対し,創作性の低いものについては,複製行為と評価できるのはいわゆるデッドコピーについてのみであって,少し表現が変えられれば,もはや複製行為とは評価できない場合がある,というように,創作性の程度を表現者以外の者の行為に対する評価の要素の一つとして考えるのが相当である。このように,著作物性の判断に当たっては,これを広く認めたうえで,表現者以外の者の行為に対する評価において,表現内容に応じて著作権法上の保護を受け得るか否かを判断する手法をとることが,できる限り恣意を廃し,判断の客観性を保つという観点から妥当であるというべきである。

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判例/著作物の保護の範囲に広狭があるか

 

著作物の保護の範囲に広狭があるか

▶平成1389日東京高等裁判所[平成13()797]

(著作物の)保護の範囲の広狭を検討するに当たって,本来は著作権法上の保護の対象とならない発想,すなわち,思想又は感情あるいは表現手法ないしアイデア自体の創作性が影響を及ぼすことがあることは,否定できないところである。一般的にいって,発想に卓越した創作性が存在する場合には,保護の範囲は広いものとなるであろうし,単に著作者の個性が表われているだけで,誰が行っても同じになるであろうといえるほどにありふれたものとはいえないといった程度の創作性しか認められない場合には,保護の範囲は狭いものとなり,ときにはいわゆるデッドコピーを許さないという程度にとどまることもあり得る。

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判例//類似性(侵害性)の判断基準

 

類似性(侵害性)の判断基準

平成120919日東京高等裁判所[平成11()2937]

一 著作権侵害について

1 著作権法は、その21条で「著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。」と規定し、その27条で「著作者は、その著作物を若しくは変形し、その他翻案する権利を専有する。」と規定して、著作者に「著作物」を「複製する権利」(複製権)や変形などの方法で「翻案する権利」(翻案権)を与えている。

著作権者にこれらの権利が与えられる「著作物」とは何かについて、著作権法211号が、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と規定していることからすれば、著作権法によって保護されるのは、直接には、「表現したもの」(「表現されたもの」といっても同じである。)自体であり、思想又は感情自体に保護が及ぶことがあり得ないのはもちろん、思想又は感情を創作的に表現するに当たって採用された手法や表現を生み出す本(もと)になったアイデア(着想)も、それ自体としては保護の対象とはなり得ないものというべきである。

このような立場を採った場合、思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体に創作性がなくても、表現されたものに創作性があれば、著作権法上の保護を受け得ることの反面として、思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデアに創作性があって、その結果、外観上、表現されたものに創作性があるようにみえても、表現されたもの自体に、右アイデア等の創作性とは区別されるものとしての創作性がなければ、著作権法上の保護を受けることができないことになる。そうでなければ、表現されたものの保護の名の下に思想又は感情あるいはこれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体を保護することにならざるを得ないからである。

右に述べたところを前提に、著作権法によって著作権者に専有権の与えられている複製あるいは翻案(以下、これらをまとめて「複製・翻案」という。)とはどういうものであるかを具体的にいうと、既存の著作物に依拠してこれと同一のものあるいは類似性のあるものを作製することであり、ここに類似性のあるものとは、「既存の著作物の、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分」についての表現が共通し、その結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものであるということになる(最高裁判所昭和55328日第三小法廷判決参照)。

なお、ここで注意すべきことは、複製・翻案の判断基準の一つとしての類似性の要件として取り上げる「当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に」との要件(直接感得性)は、類似性を認めるために必要ではあり得ても、それがあれば類似性を認めるに十分なものというわけではないことである。すなわち、ある作品に接した者が当該作品から既存の著作物を直接感得できるか否かは、表現されたもの同士を比較した場合の共通性以外の要素によっても大きく左右され得るものであり(例えば、表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体が目新しいものであり、それを表現した者あるいはそれを採用した者が一人である状態が生まれると、表現されたものよりも、目新しい思想又は感情あるいは手法やアイデアの方が往々にして注目され易いから、後に同じ思想又は感情を表現し、あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品は、既存の作品を直接感得させ易くなるであろうし、逆に、表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体がありふれたものであり、それを表現した者あるいはそれを採用した者が多数いる状態の下では、思想又は感情あるいはアイデアが注目されることはないから、後に同じ思想又は感情を表現し、あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品が現われても、そのことだけから直ちに既存の作品を直接感得させることは少ないであろう。)、必ずしも常に、類似性の判断基準として有効に機能することにはならないからである。

著作権法による保護を、このようなものとして把握する場合、特許法、実用新案法が思想(技術的思想)までを保護する(特許法2条、実用新案法2条参照)のとは異なり、思想や感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出すアイデアが保護されることはなく、その結果、著作権法による保護の範囲が、見方によれば狭いものとなることがあることは事実であろう。しかしながら、それは、著作権法の趣旨から当然のことというべきである。すなわち、著作権法においては、手続的要件としても、特許法、実用新案法におけるような権利取得のための厳密な手続も権利範囲を公示する制度もなく、実体的な権利取得の要件についても、新規性、進歩性といったものは要求されておらず、さらには、第三者が異議を申し立てる手続も保障されておらず、表現されたものに創作性がありさえすれば、極めてと表現することの許されるほどに長い期間にわたって存続する権利を、容易に取得することができるのであり、しかもこの権利には、対世的効果が与えられるのであるから、不可避となる公益あるいは第三者の利益との調整の観点から、おのずと著作権の保護範囲は限定されたものとならざるを得ないからである。換言すれば、著作権という権利が右のようなものである以上、これによる保護は、それにふさわしいものに対してそれにふさわしい範囲においてのみ認められるべきことになるのである。それゆえにこそ、著作権法は、「表現したもの」のみを保護することにしたものと解すべきであり、前述のとおり、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものと同一のものを作製すること、あるいは、これと類似性のあるもの、すなわち、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分についての表現が共通し、その結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものを作製することのみが複製・翻案となり得るのである。

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2025年11月21日金曜日

判例/プログラムの著作物の特定性と侵害性の立証

 

プログラムの著作物の特定性と侵害性の立証

平成19126日東京地方裁判所[平成18()29460]

2 争点2(被告B及び被告Cによる著作権侵害の有無)について

原告は,本件プログラムの著作物性について,プログラムは,指令の組合せ方に作成者の個性が現れるので,誰が作成しても同様になってしまうという極めて単純なプログラム以外のプログラムについては,著作物性が認められるのであり,本件プログラムも,アプリケーションシステムの開発用に販売されているシステム開発用のソフトウェアであるアクセスを使用して作成されたプログラムであり,特徴的な機能を有するのであるから,著作物性を有するというべきである旨主張する。

しかしながら,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであり(著作権法2条1項1号),著作物性を肯定するためには,表現それ自体において創作性が発現されること,すなわち,表現上の創作性を有することが必要とされるものであるから,著作物性は,当該表現物の具体的な表現に即して,その創作性の有無を検討することにより判断されるべきものであり,具体的な表現を離れて論ずることは相当ではない。そして,複製権の侵害が問題とされる場合には,当該表現物と複製物と主張されている対象物のうち,同一性を有する部分の創作性の有無が検討されるのであるから,プログラムを複製されたと主張する場合には,自己のプログラムの表現上の創作性を有する部分と,対象プログラムの表現との同一性が認められることを主張する必要がある。すなわち,複製物であると主張する対象において,アイディアなどの表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,同一性を有するにすぎない場合には,既存の著作物の複製に当たらない(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決参照)ことから,通常,表現の同一性のある部分を抽出して,同部分の表現の創作性の有無を検討することによって,著作物性及び複製権侵害の有無が並行して判断されるのである。

この点につき,原告は,本件プログラムについて,機能面での特徴を指摘するのみで,被告らが使用するプログラムとの対比及びその同一性についての具体的な表現上の創作性について何ら主張するものではないから,本件プログラムについての複製権侵害を基礎付ける,本件プログラムの著作物性,被告らが使用するプログラムとの同一性の有無についての主張・立証がないものといわざるを得ない。

なお,原告は,被告Cに対する請求について,同被告が本件プログラムの複製物を使用したことが著作権を侵害したと主張するのみで,当該使用行為が著作権のどのような支分権を侵害するのか明らかにしないから,上記主張はそれ自体失当であり,これを採用する余地はない。

したがって,著作権侵害に関する原告の主張を認めることはできない。

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2025年11月17日月曜日

判例/歴史教科書の侵害性の判断基準

 

歴史教科書の侵害性の判断基準

平成261219日東京地方裁判所[平成25()9673]▶平成27910日知的財産高等裁判所[平成27()10009]

[控訴審]

当裁判所も,控訴人の請求は,当審における控訴人の主張を踏まえても,いずれも棄却すべきものと判断する。

その理由は,次のとおりである。

1 争点(1)(被控訴人各記述が控訴人各記述を「翻案」したものか否か)

(1) 翻案について

原判決に記載のとおりである。

(2) 教科書及びその検定について

原判決(教科書及びその検定について)に記載のとおりである。

()

(3) 歴史教科書の個々の記述について

特定の著作物と他の著作物との間で著作権又は著作者人格権(著作権等)の侵害の有無を判断しようとする場合,表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎないときには,複製又は翻案には該当しないのであるから,著作権等を侵害されたと主張する者は,自らの著作権等が侵害されたとする表現部分を特定した上で,まず,その表現部分が創作性を有していることを明らかにしなければならない。この点,原判決別紙対比表項目1,2,9,10,15,17,19,20,24,26,27~29,33~36,43~45及び47の各「原告主張」欄の小項目「■【原告書籍の表現の視点】」に記載された控訴人の主張が,記述内容に関する著者のアイディアや制作意図ないし編集方針,あるいは,歴史観又は歴史認識に創作性があるという趣旨であれば,それ自体は表現ということができないから,いずれも失当である。当裁判所の検討に当たっては,当該視点に基づいて記されたとする具体的な記述について,表現上の創作性の有無を検討する。

まず,控訴人は,被控訴人書籍の特定の単元の記述の一部が控訴人書籍の特定の単元の一部の記述の著作権等を侵害すると主張しているのであるから,上記の手法(いわゆる「ろ過テスト」)に従うならば,控訴人各記述のうち被控訴人各記述に対応する部分(後述のとおり,その多くは,切れ切れとなった文章表現を全体的に観察した場合にうかがうことのできる観念的な共通性にすぎない。)が,それぞれ単独で創作性を有していることを,更に明らかにしなければならない。

前記(1)のとおり,歴史上の事実又は歴史上の人物に関する事実(歴史的事項)の記述であっても,その事実の選択や配列,あるいは歴史上の位置付け等において創作性が発揮されているものや,歴史上の事実等又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては,著作権法の保護が及ぶことがある。

ところで,前記(2)のとおり,中学校用歴史教科書については,文部科学大臣が公示する教科用図書検定基準並びに文部科学省が作成した中学校学習指導要領及びその解説により,法令上及び事実上,その記述内容及び方法が相当程度に制約されているほか,想定される読者が中学生であることによる教育的配慮から,その記述事項は,通常,一般的に知られている歴史的事項の範囲内から選択される。その一方で,歴史教科書として制作された書籍だからといって,教科書としてだけ用いられるわけではなく(被控訴人書籍1は,一般に市販されている。),歴史教科書に係る著作権の侵害の有無が問題となる書籍が歴史教科書に限られるわけでもない(被控訴人書籍1は,歴史教科書ではない。)。そうすると,歴史教科書は,簡潔に歴史全般を説明する歴史書に属するものであって,一般の歴史書と同様に,その記述に前記した観点からみて創作性があるか否かを問題とすべきである。すなわち,他社の歴史教科書とのみ対比して創作性を判断すべきものではなく,一般の簡潔な歴史書と対比しても創作性があることを要するものと解される。

そして,簡潔な歴史書における歴史事項の選択の創作性は,主として,いかに記述すべき歴史的事項を限定するかにあるのであり,選択される歴史的事項は一定範囲の歴史的事実としての広がりをもって画されている。したがって,同等の分量の他書に一見すると同一の記述がなかったとしても,それが,他書が選択した歴史的事項の範囲内に含まれる事実として知られている場合や,当該歴史的事項に一般的な歴史的説明を補充,付加するにすぎないものである場合には,歴史書の著述として創意を要するようなものとはいえない。控訴人の創作性基準に関する主張は,上記説示に反する限り,採用することができない。

以下,他社の歴史教科書に同様の表現があるか否かの点を中心に,控訴人各記述の創作性を検討するが,これは,他社の歴史教科書が同等の分量を有する歴史書として,もっとも適切な対比資料であり,他社の歴史教科書に同様の表現があることは,当該表現がありふれたものであることの客観的かつ明白な根拠だからである。

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2025年11月14日金曜日

判例/ノンフィクション(歴史的事実を含む作品)の侵害性

 

ノンフィクション(歴史的事実を含む作品)の侵害性

▶平成250314日東京地方裁判所[平成23()33071]

被告書籍の第3章は,原告書籍に依拠しているから,本件において,被告各記述が原告各記述を複製又は翻案したというためには,原告各記述のうち被告各記述と同一性を有する部分が思想又は感情を創作的に表現したものであり,かつ,被告各記述が,原告各記述と同一であるか,又は,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持し,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものであることが必要である。

イ そこで,被告各記述が原告各記述を複製又は翻案したものか否かについて検討する。

() 被告第1記述について

原告第1記述と被告第1記述とは,バスは満席だったが,誰一人しゃべる者もなく,静かだったこと,室内灯が消されたことを著述している点において共通し,同一性がある。

バスは満席だったが,誰一人しゃべる者もなく,静かだったことは,その事実に加え,原告を含むバスの乗客が抱いていた不安の感情を表現したものといえるが,当該状況における感情を表現したものとしてはありふれたものであるから,表現上の創作性がない。また,室内灯が消されたことは,事実であって,表現それ自体ではない。

原告は,原告第1記述のうち,「室内灯を消してみた」は原告が泣いているところを見せたくないという感情を表現したものであり,②「だれ一人しゃべる者もなく」や「室内灯」は選択し得る表現の幅が広いから,創作性があると主張する。しかしながら,①については,被告第1記述のうち原告第1記述中の「室内灯を消してみた」と同一性を有する部分は,「室内灯が消された」という記述だけであり,これは事実であって,感情を表現したものということはできない。また,②については,選択し得る表現に幅があるとしても,「だれ一人しゃべる者もなく」や「室内灯」との記述だけでは,原告の個性ないし独自性が表れているとはいえないから,表現上の創作性がない。原告の上記主張は,採用することができない。

したがって,被告第1記述は,原告第1記述を複製又は翻案したものということはできない。

() 被告第2記述について

原告第2記述と被告第2記述とは,朝元気に家を出た人が,その夕刻に死ぬなんて,原告にはどうしても信じられなかったこと,悪夢と思ったこと,夫のいない生活を考えたこともなかったこと,これから一人になると思うと,涙が止めどなく溢れてきたこと,原告は周囲に知られないよう涙をふいたことを著述している点及びその著述の順序においてほぼ共通し,同一性がある。

これらは,その事実に加え,原告が抱いた悲しみの感情を創作的に表現したものであり,被告第2記述は,原告第2記述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持し,被告第2記述を一読しただけで,その特徴を直接感得することができるものである。

被告Bは,原告第2記述中の「悪夢でも見ている」及び「周囲に気づかれないように涙をそっとふいた」並びに順序は創作性がないと主張する。しかしながら,前記の同一性を有する部分は,感情の形容,強調方法や言い回しにおいて,原告の個性ないし独自性が表れていることが明らかである。被告Bの上記主張は,採用することができない。

したがって,被告第2記述は,原告第2記述を複製又は翻案したものということができる。

(以下略)

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判例/ノンフィクションの侵害性~伝記(ノンフィクション)vs.会話を主体とする戯曲~

 

ノンフィクションの侵害性~伝記(ノンフィクション)vs.会話を主体とする戯曲~

平成131220日京都地方裁判所[平成11()111]▶平成140918日大阪高等裁判所[平成14()287]

()本件は,原告が,「本件戯曲」が原告の著作物の翻案であり,また,本件戯曲中の個々の翻訳が原告著作物中の翻訳の著作物の複製であるとして,本件戯曲の複製,出版又は頒布の停止を求めなどを求めた事案である。

(基本的事実関係)

〇 コルチャックは,1878年(1879年という説もある。)ワルシャワで生まれたユダヤ人である。医者,作家,教育者であり,恵まれない子供たちのためにワルシャワに孤児院を設立し,30年間子供たちと喜怒哀楽を共にした。第2次世界大戦によって,ポーランドはナチス・ドイツの占領下におかれ,コルチャック及び孤児らもゲットーに収容された。1年9か月の収容生活を経て,1942年8月,子供たちと共にトレブリンカ収容所のガス室で処刑された。この間,コルチャックは何回となく助けられる機会を与えられたが,子供たちを見捨てて自分1人だけ生き延びることはできないとして,これを拒んだ。

〇 原告は,コルチャックの研究者である。原告は,コルチャックの研究のため,昭和51年以降ドイツとポーランドに留学し,昭和56年コルチャックを日本に紹介し,昭和61年にはコルチャックの生涯を描いた「コルチャック小伝」で朝日ジャーナルノンフィクション賞を受賞したものであるが(甲1巻末「参考文献」),平成2年,コルチャックの感動の生涯と教育者としての実践を描いた著作「コルチャック先生」(以下「原告著作」という。)を創作し,著作権及び著作者人格権を取得した。そして,同年12月,原告著作を朝日新聞社から出版した(第1刷)。原告著作は,平成7年には朝日新聞社から朝日文庫としても出版されている。

 

1 争点(1)(本件戯曲は原告著作の翻案に当たるか,また,本件戯曲の個々の翻訳が原告著作の翻訳の複製権侵害に当たるか。)について

()

(4) 上記認定事実をもとに検討する。

ア 翻案性の判断について

言語の著作物の翻案は,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案に当たらない(最一小判平成13年6月28日,平成11年(受)第922号損害賠償等請求事件)。これを本件に即してみれば,①本件戯曲は原告著作に依拠しているか。②両著作において表現上の本質的な特徴に同一性があり,本件戯曲に接する者が原告著作の表現の本質的特徴を直接感得できるかを検討すべきであり,②の検討の際には,表現それ自体でない部分又は創作性のない部分における同一性にすぎないかに留意すべきということになる。

イ 両著作の特質,形式について

原告著作は,コルチャックの生涯を,その背景となる歴史的事実を織り交ぜながら記載するノンフィクションとしての伝記というべきものであるのに対し,本件戯曲は,冒頭でのカナリアのエピソードを除き,ドイツ軍がポーランドに侵入し,コルチャックとクロフマルナの子供達を含むユダヤ人がゲットーに収容された以降のことを中心とする会話を主体とする戯曲である。したがって,両者の外観,形式から,直ちにその依拠性をうかがうことはできない。

ウ 両著作の筋・構成及び人名・固有名詞等について

両著作には,筋・構成について類似している点がある。また,人名,固有名詞等について共通するものがあるのは「主要登場人物対照表」記載のとおりである。しかし,これらは「…アイデア,事実もしくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分」に該当するといえる上(もっとも,「ステファ夫人」の夫人の部分は表現上の問題といえるが),両著作ともにコルチャックという同一の歴史的背景をもった同一人物の生涯におけるできごとについての著作であることからすれば,上記の類似,共通点が直ちに本件戯曲の依拠性を基礎づけるものということはできない。

エ 両著作の題材,内容の表現について

上記認定事実(3)に照らせば,本件戯曲が原告著作に依拠し,それと同一ないしは同一性のある表現をしているとみられるのは,同(3)()記載のエピソードと,同(3)エ記載の翻訳部分である(翻訳について本件戯曲が原告著作に依拠していることは実質的には争いがないといえる。)。

上記エピソードについては,分量も少ない上,「事実もしくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分」とみられるから,これを翻案性を基礎づけるものとすることはできない。しかし,上記翻訳部分についてみると,原告著作に含まれる対応部分は翻訳として上記のとおり表現上の創作性を有する部分であるところ,本件戯曲はこれとほぼ同一の表現を用いている。

しかし,他方,上記(3)記載のとおり,本件戯曲は,原告著作以外の著作等(特にリフトン著作)を参照したり,劇的効果の観点から表現や配置を工夫した結果,同一事件についても原告著作にみられない表現があり,また,原告著作にないエピソードを多数含むなど多くの相違点を有しており,これによって本件戯曲と原告著作の全体としての印象は相当異なるものとなっているといえる。特に,ザレツキーとじゃがいも事件を絡めて脚色したこと,コルチャックが「ハヌカのお話」をすること,コルチャックが差し入れられたパンを子供たちに分けずに食べてしまい,そのことで自ら子供たちの裁判にかけられたこと(なお,原告は「筋・構成対照表」において,これを事実無根ないしコルチャックの教育思想の歪曲である旨主張するが,依拠の有無ないし表現の同一性の判断をするに当たっては客観的対比によるべきもので,内容の真実性に立ち入る必要はない。)については,分量的にもまとまっていることから,この印象を助長し,短いながらも子供たちによるペレツの詩「同胞」の合唱や,コルチャックがダンツィヒ駅への最後の行進をピクニックと位置づけたことの独自の効果も無視できない。

もっとも,構成についてみるに,エステルを追悼するコルチャックの日記の配置は,原告著作に近い劇的効果を有するといえる。また,ドイツ将校が子供のころコルチャックの「ジャックの破産」を読んだことを思い出しコルチャックを助けようとするくだりは,印象が強く1つのクライマックスともいえるところであり,これを最終段階に配置したところは本件戯曲と原告著作に共通の劇的効果を与えるものといえる。しかし,前者は,時系列的に,そのような配置になることは自然であるといえるから,原告著作の創作性は否定される。また,後者のエピソードはネヴェルリイに由来するもので,被告Bは原告と異なりネヴェルリイには直接は当たっていないとみられるものの,Final Chapter にも記載があり(乙36,37の1),原告著作にのみ依拠してこれを選択したといえるかは疑問がある上,配置の点からいっても,その性質上コルチャックの生涯を描こうとすれば最終段階にせざるを得ないものであり,原告著作では並列的に記載されたコルチャックがトレブリンカ行きの列車に乗り込む前の4つのエピソードの1つである(4つのエピソードの最後とはいえ)のに対し,本件戯曲では時系列的にも最終段階に位置づけられている点で異なる。

以上によれば,本件戯曲と原告著作を全体として対比すると,原告著作における資料の取捨選択及び文章表現の工夫の結果としての創作的な表現の本質的な特徴と本件戯曲の劇的効果の観点から工夫された表現の間に同一性があるとはいえず,本件戯曲に接する者が原告著作の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるということはできないから,本件戯曲が原告著作の翻案であると認めるには未だ十分ではないといわざるを得ない。

 

[控訴審]

1 争点(1)(本件戯曲は控訴人著作の翻案に当たるか。また,本件戯曲中の個々の翻訳が控訴人著作中の翻訳の複製権侵害に当たるか。)について

(1) 本件戯曲の翻案性について

ア 言語の著作物の翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,ここに同一性を維持しつつ,直接感得することのできる表現上の本質的な特徴とは,創作性のある表現上の本質的な特徴をいい,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所平成13年6

月28日判決参照)。

()

ウ 以上のとおり,本件戯曲の各場面のうちには,コルチャックのゲットー日記や手紙及び詩等控訴人著作の翻訳部分の複製であると認められるものがあり,また,シーン15 ワルシャワ近郊「僕たちの家」の場面が,控訴人著作の翻案であると認められるが,その余の各場面については,いずれも控訴人著作の複製又は翻案であるとは認められず,上記複製ないし翻案とされる場面は,その本件戯曲において有している意味・効果を考慮すると,本件戯曲全体に占める重要性や分量が小さく,その余の各場面の占める重要性や分量の方が大きいから,本件戯曲全体が控訴人著作の複製又は翻案であるとすることはできない。

なお,控訴人は,本件戯曲のうち当裁判所が認めた箇所以外にも控訴人著作の翻案部分が存在する旨を,陳述書においてるる指摘するが,いずれも当該部分に関する翻案性を否定した前記認定・判断を左右するものではない。

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判例/ノンフィクション作品同士の侵害性が争われた事例

 

ノンフィクション作品同士の侵害性が争われた事例

平成121226日東京地方裁判所[平成11()26365]▶平成140130日東京高等裁判所[平成13()601]

[控訴審]

(2) 構成の同一性について

ア 次に、控訴人は、控訴人著作物全体と被控訴人書籍対比部分をそれぞれのまとまりとして比較検討する必要があるとした上、控訴人著作物の構成には独創性があり、被控訴人書籍対比部分の構成は、一部を除き控訴人著作物と同一である旨主張する。確かに、控訴人著作物と被控訴人書籍対比部分の各記述内容を、順を追って対比すると、いずれも、C氏の死亡日時及び死因、本件葬儀の日時及び場所、主な会葬者の紹介(政界、財界、電機業界の順)、隣室の模様、本件葬儀の形式、本件葬儀の開始、葬儀委員長H氏の夫人Iによる葬送行進曲の演奏、遺骨の入場及び祭壇への安置、会葬者による1分間の黙祷、G氏の夫人Fによるメッセージの代読という流れで構成されており、その構成において大部分が共通するということはできる。

イ しかし、控訴人著作物も、被控訴人書籍対比部分も、ともに本件葬儀の模様を客観的に叙述するという共通する明確な主題を有することは明らかであるところ、このような主題に基づいて叙述しようとした場合、冒頭にC氏の死亡日時及び死因の記述に始まり、続いて本件葬儀のアウトラインとなる日時及び場所、主な会葬者、会場の様子、葬儀の形式といった事項を記述する構成を採ることは、客観的事実を型どおりの常識的な順序で記述したものであって、そこに創作性を見いだすことはできない。そして、これに続く叙述は、本件葬儀の式次第に沿って時系列的に記述するにすぎないといわざるを得ず、このことは、ソニー株式会社作成の「Sony Times 故Cファウンダー・最高相談役ソニーグループ葬特別号」の記述の内容及び順序に照らしても明らかである。したがって、このような記述の内容及び順序に表現上の創作性があるとは到底認めることはできない。

ウ また、記述対象の取捨選択に関しては、別表控訴人記事欄と被控訴人書籍欄の各記述の対比から明らかなように、被控訴人書籍対比部分は、控訴人著作物で取り上げられていない内容として、C氏の晩年の様子(別表被控訴人書籍欄())、C氏が経営者としての「顔」だけでなく、本格的な幼児教育の研究に取り組むなどの幅広い「顔」を持っていたとの記述(同())、C氏が財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長に就任して以来のボーイスカウトとの関係に触れている記述(同())、遺影について「普段からあまり怒ることのなかったC氏の優しい眼差しで溢れた写真である」との記述(同())、G氏が病気療養中であることについて具体的に説明する記述(同()、夫人の代読したG氏のメッセージを具体的に引用している記述(同()())等を含む一方、控訴人著作物の記述中、遺影の下の天皇陛下から贈られた花や勲章について触れている記述(別表控訴人記事欄(9))、Jアナウンサーが進行役を務めたとの記述(同(12))、献灯時に流された音楽や祭壇に点灯する様子に具体的に触れている記述(同(14))、黙祷の間に流された音楽に触れている記述(同(21))、夫人の代読とされたG氏のメッセージは、実際には夫人が綴ったものであったとの記述(同(23))、上記メッセージが読み上げられた際、「会場のあちこちで目頭を熱くする光景が見られた」との記述(同(24))については、いずれも控訴人著作物に対応する記述がなく、記述対象の取捨選択において相当程度異なっている。そして、これらの記述対象の取捨選択は、本件葬儀の模様を客観的に叙述するノンフィクションの著作物としては、その創作性を有する部分であると解されるから、被控訴人書籍対比部分と控訴人著作物の構成は、記述対象の取捨選択という観点から見ても、創作性が認められるような特徴的な表現部分に同一性は見いだせない。

なお、控訴人は、遺影や遺骨に関する記述を選択したことに独創性がある旨主張するが、本件葬儀の会場において、C氏の遺影がひときわ目立つ大きさで祭壇の正面に飾られていたこと(前掲平成10年1月21日付け日本経済新聞夕刊の「故C氏グループ葬」との見出しの記事の写真参照)、遺骨の入場が本件葬儀のいわば重要な見せ場の一つであったと解されること(前掲参照)からすると、むしろ遺影や遺骨について触れない方が不自然というべき事項にすぎず、これを取り上げたこと自体に創作性があるとはいえない。

(3) 独創的な表現の対比について

ア 控訴人は、控訴人著作物の独創的な表現において、被控訴人書籍の表現は同一であるか又は類似しており、被控訴人書籍対比部分中、控訴人著作物の表現と異なる部分は創作性がない旨主張するので、以下検討する。

イ 控訴人が控訴人著作物の独創的な表現であると主張する表現のうち、まず、遺影及び遺骨の描写について見るに、この点の控訴人書籍の表現は、「正面祭壇に飾られたCの遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる。その遺影の真下には、天皇陛下から贈られたカスミソウや菊花の白い花が飾られ、贈正三位の勲章が並べられた。」(別表控訴人記事欄(8)(9))、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて、子息のEの胸に抱かれたCの遺骨が入場、祭壇一番上に安置された。黒い布で覆われ、十字架をかけた遺骨を収めた箱は、それを見下ろすように飾られた大きな遺影のなかのC自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった。」(同(18)(19))というものであるのに対し、被控訴人書籍のこれに対応すると考えられる表現は、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウトの少年隊員に先導させた格好で、長男・Eの胸に抱かれたC氏の遺骨が入場してきた。C氏とボーイスカウトとの関係は、彼が昭和六十年、七十七歳の時、財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長に就任して以来である。遺骨を収めた箱は、祭壇の一番上に安置された。骨箱は黒い布で覆われ、十字架がかけられていた。それを見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影が飾ってあった。遺影の中のC氏は、首を少し左に傾げ、左手を頬に添えていた。普段からあまり怒ることのなかったC氏の優しい眼差しで溢れた写真である。」(別表被控訴人書籍欄()())というものである。

この両者の表現を対比するに、C氏の遺影についての描写中、「首を少し左側にかしげ」と「首を少し左に傾げ」(前者が控訴人著作物で後者が被控訴人書籍。以下この項において同じ。)、「左手を頬に添えて」と「左手を頬に添えて」、「それ(注、骨箱)を見下ろすように飾られた大きな遺影」と「それ(注、同)を見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影が飾ってあった」との各表現、遺骨の入場についての描写中、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて」と「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウトの少年隊員に先導された格好で」、「子息のEの胸に抱かれたCの遺骨が入場」と「長男・Eの胸に抱かれたC氏の遺骨が入場」、「黒い布で覆われ、十字架をかけた遺骨を収めた箱」と「骨箱は黒い布で覆われ、十字架がかけられていた」との各表現は、部分的には同一であるか又は類似しているということができる。

しかし、純然たるフィクションとして創作されたものであれば格別、控訴人著作物も、被控訴人書籍も、ともに本件葬儀という共通の歴史的事実を取り上げたノンフィクションであることを踏まえて、その創作的な表現部分の同一性を考える必要があり、上記の同一又は類似する部分に係る控訴人著作物の表現は、いずれも遺影の様子及び遺骨の入場シーンの様子を比較的客観的に描写した部分であって、着眼点や具体的な表現においても、ありふれた慣用的な表現にとどまり、表現上の創作性がない部分であるといわざるを得ない。他方、控訴人著作物の上記表現中、「遺影のなかのC自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった」との部分、被控訴人書籍中の「C氏の優しい眼差しで溢れた写真である」との部分については、いずれも表現上の創作性を看取することができると解されるが、前者の表現部分に対応する部分において、被控訴人書籍の具体的な表現は全く異なるものとなっている。さらに、控訴人著作物においては、遺骨の入場シーンの描写に先立って遺影の様子を叙述しており、両者は独立した描写となっているのに対し、被控訴人書籍においては、遺骨が入場して、祭壇に安置されたとの描写に続いて、「それを見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影」との表現を通じて、すなわち、遺影の中のC氏の視線を介して、一連の流れの中で遺骨から遺影の描写へと転じているものであって、このような創作的な構成において控訴人著作物とは全く異なるものとなっている。

したがって、遺骨及び遺影の描写中、控訴人著作物の創作的な表現部分において、被控訴人書籍の表現がこれと同一であるとも、類似するともいうことはできない。

(以下略)

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判例/ドキュメンタリー作品vs.大河小説/ノンフィクション作品(歴史的事実)の翻案性

 

ドキュメンタリー作品vs.大河小説/ノンフィクション作品(歴史的事実)の翻案性

平成130326日東京地方裁判所[平成9()442]

() 原告は、昭和16年、旧満州国の「新京」(現在の中華人民共和国吉林省長春市)に生まれ、幼少時に中国革命戦争下の共産党軍(八路軍)の長春包囲戦に巻き込まれ、長春を脱出する際に国民党軍と八路軍の間に設けられた「?子(チャーズ)」において脱出を許されるまでの数日間凄惨な状況の中に置かれたという自らの体験をもとに、原告各著作物を著作した。

一方、被告は、月刊「文藝春秋」昭和625月号から平成34月号までに、「大地の子」と題する小説を連載して発表した。同作品は、被告により加筆された上、平成3年に株式会社文藝春秋から四六判の単行本として出版され、さらに平成6年文春文庫(一巻ないし四巻)から出版された。

 

一 翻案権侵害について

原告は、対照表一ないし四記載の点を指摘して、被告小説は、原告が原告各著作物について有する翻案権(対照表一については複製権及び翻案権)の範囲に含まれる旨主張する。すなわち、

① 対照表二記載のとおり、ストーリー展開ないし場面展開が同一又は類似であること

② 対照表三記載のとおり、起承転結という構成を採用している点で共通し、かつ、起承転結の具体的な内容が同一又は類似であること

③ 対照表四記載のとおり、ストーリー全体の流れ、エピソードの取捨選択、表現手法が同一又は類似であること(40か所)

④ 対照表一記載のとおり、個別的、具体的な記述部分の表現形式及び特徴が同一又は類似であること(57か所、なお、対照表一においては、複製権侵害も主張している。)

著作者は、著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する(著作権法27条)。右翻案とは、ある作品に接したときに、先行著作物における創作性を有する本質的な特徴部分が共通であることにより、先行著作物の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得させるような作品を制作(創作)する行為をいう。したがって、ある作品が先行著作物に関する翻案権の範囲内に含まれる否かは、①先行著作物における主題の設定、具体的な表現上の特徴、作品の性格、②当該作品における主題の設定、具体的な表現上の特徴、作品の性格、③両者間における、ストーリー展開、背景及び場面の設定、人物設定、描写方法の同一性ないし類似性の程度、類似性を有する部分の分量等を総合勘案して判断するのが相当である。

各対照表において、原告が指摘する部分の翻案権侵害の有無については、以下二ないし五において個別具体的に検討するが、総論的な点を簡潔に述べておく。

第一に、原告各著作物は、概要、昭和二三年(一九四八年)、国民党軍の支配下にあった長春は、中国共産党軍(八路軍)が包囲して兵糧攻めにしたため、市民の多くが飢餓状態に陥ったこと、原告は、当時七歳であったが、長春を脱出する際に国民党軍と八路軍の間に設けられた(チャーズ)において脱出を許されるまでの数日間凄惨な状況の中に置かれたこと、家族らは、かろうじて脱出を果たしたが、原告は、その後、栄養失調の上、結核菌に冒されたことなど戦争下での苛酷な体験を基礎に、歴史的な事実として(フィクションを交えないドキュメンタリーとして)、著作されたものである(詳細は後記認定のとおりである。なお、原告各著作物については、原告の父親に対する鎮魂、敬愛追慕の情などが執筆の動機の一つである等の特別の事情も存在する。)。このようなノンフィクションの性格を有する著作物において、歴史的な事実に関する記述部分について、文章、文体、用字用語等の上で工夫された創作的な表現形式をそのまま利用することはさておき、記述された歴史的な事実を、創作的な表現形式を変えた上、素材として利用することについてまで、著作者が独占できる(他者の利用を排除することができる。)と解するのは妥当とはいえない。

第二に、被告小説は、日中の歴史を背景に、戦争によって捨てられた子どもである戦争孤児(いわゆる中国残留孤児)を主人公として、孤児と中国養父母との心の交流を軸として、戦火の中でも失われなかった人類愛を描こうとした大河小説である。一般に、作家は、小説を執筆するに当たって、読者に対し、最も効果的に、テーマを伝え、感動を与えることができるよう、ドラマチックなストーリー展開を案出し、各種の登場人物を創出し、人物の性格、思想、行動、人間関係等を設定するなど、知識、経験及び創造力を尽くし、創作的な工夫を凝らして、作品を完成させるものであるといえる。このように創造力を駆使して執筆される小説の性格に照らすならば、例えば、歴史的事実、日常的な事実等を描くような場合に、他者の先行著作物で記述された事実と内容において共通する事実を取り上げたとしても、その事実を、いわば基礎的な素材として、換骨奪胎して利用することは、ある程度広く許容されるものと解するのが妥当である。

そこで、このような観点を踏まえた上で、両者間における、ストーリー展開、背景及び場面の設定、人物設定、描写方法等の類似性の有無、程度を総合勘案して判断することにする。

なお、以下に、翻案権侵害等の有無について判断するが、両作品の全体的な検討から進める方が、より分かりやすいので、対照表二、三、四及び一の順で行う。

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判例/歴史小説の翻案(侵害性)

 

歴史小説の翻案(侵害性)

▶平成28629日知的財産高等裁判所[平成27()10042]

(シークエンスの翻案について)

ア 言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照),既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案に当たらないというべきである(最1小判平成13年6月28日参照)。

したがって,歴史上の事実や歴史上の人物に関する事実は,単なる事実にすぎないから,著作権法の保護の対象とならず,また,歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも,それ自体は思想又はアイデアであるから,同様に著作権法の保護の対象とはならないというべきである。他方,歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては,著作物性が肯定されることがあり,事実の選択,配列や,歴史上の位置付け等が著作物の表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。

イ 本件において,控訴人は,原告各小説の各ストーリーを構成する個々の出来事の選択とその配列の仕方に創作性があると主張し,各ストーリーを構成する出来事に5つのWが備わっていれば,それを複数選択し,配列したものには,創作性があると主張する。

しかし,原告各小説は歴史を題材とした小説であるから,5つのWを備えた出来事を複数組み合わせて配列しただけでは,歴史上の事実等の経過を示したものにすぎないこと,あるいは,これらの事実等についての見解や歴史観を示すものにすぎないことがあるから,常に著作権法の保護の対象となるとはいえない。控訴人主張に係る各ストーリーに創作性があり,事実の選択や配列が表現上の本質的特徴を基礎付けるというためには,5つのWを備えた出来事を複数組み合わせて配列することだけでは足りず,少なくとも,事実の選択や配列に創作性が発揮されているといえなければならない。

()

(人物設定の翻案について)

上記のとおり,歴史上の事実や歴史上の実在の人物に関する記述は,単なる事実の羅列にすぎないから,著作権法の保護の対象とならず,また,歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも,それ自体は思想又はアイデアであるから,同様に著作権法の保護の対象とはならないといえる。他方,歴史上の事実等に関する記述であっても,歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては,著作物性が肯定されることがあり,事実の選択,配列や,歴史上の位置付け等が,表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。

この点について,控訴人は,著作権法で保護する人物設定であるためには,登場人物に,具体的な「性格,思想,道徳,経済観念,経歴,境遇,容姿等」を与えればよいのであって,原告小説2の6人の登場人物についての人物設定はいずれも,かかる要件を満たすから,著作権法で保護されるべきものである,と主張する。

しかし,原告小説2の6人の登場人物は,いずれも歴史上の実在の人物であり,具体的な「性格」等を与えるだけでは,単なる歴史上の事実か,歴史上の事実等についての見解や歴史観にすぎないから,著作権法の保護の対象となるとはいえない。

他方,人物設定に関する記述であっても,人物設定をその具体的記述において創作的に表現したものについては,著作物性が肯定されることがあり,歴史上の位置付け等が表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。

()

(エピソードの翻案について)

上記記載のとおり,歴史上の事実や歴史上の実在の人物に関する記述は,単なる事実の羅列にすぎないから,著作権法の保護の対象とならず,また,歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも,それ自体は思想又はアイデアであるから,同様に著作権法の保護の対象とはならないといえる。他方,歴史上の事実等に関する記述であっても,歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては,著作物性が認められることがあり,事実の選択,配列や,歴史上の位置付け等が,表現上の本質的特徴を基礎付ける場合があり得るといえる。

この点について,控訴人は,控訴人が主張する原告各小説の各エピソードは,5つのWを備えた個々の行動や出来事を複数組み合わせたものであるから,翻案権の保護範囲であるストーリーである,と主張する。

しかし,原告各小説は歴史小説であるから,個々の行動や出来事を複数組み合わせたというだけであれば,単なる歴史上の事実や,歴史上の事実等についての見解や歴史観にすぎないこともあるから,それのみで著作権法の保護の対象となるとはいえない。歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観が,具体的記述において創作的に表現されたものであるか否かを,その事実の選択や配列,あるいは,歴史上の位置付け等を踏まえて検討する必要がある。

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2025年11月13日木曜日

判例/キャラクターの侵害性・特定性の問題(キャラクターのテレビ作品の画像との翻案性を認定した事例)

 

キャラクターの侵害性・特定性の問題(キャラクターのテレビ作品の画像との翻案性を認定した事例)

令和5127日東京地方裁判所[令和5()70139]▶令和7924日知的財産高等裁判所[令和6()10007]

(事案の概要)

1 亡笹沢左保ことBは、「紋次郎」という名の渡世人を主人公とする「木枯し紋次郎」シリーズの小説(「本件小説」)を執筆し、本件小説を原作とする漫画、テレビドラマ及び映画が制作された。亡Aは亡Bの妻であり、控訴人X1及び控訴人X2は亡Bと亡Aの間の子であり、控訴人X3及び控訴人X4は亡Aの養子である。亡Bが有した本件小説の著作権は、亡Bが平成14 年(2002年)10月21日に死亡した後は、遺産分割により亡Aが取得した。控訴人会社は、亡Aから、亡Bの著作物の独占的利用の許諾を受けた。

本件の第1審は、亡A及び控訴人会社が、被控訴人が「被告図柄目録」記載の図柄を、「被控訴人商品」の外装(ラベル又は外袋)に付して製造販売し、同商品の画像をウェブサイトに掲載することは、亡Aが取得した本件小説、本件小説を原作とする漫画、テレビドラマ又は映画に係る著作権(複製権又は翻案権、公衆送信権及び譲渡権)、控訴人会社の独占的利用許諾を受けた地位を侵害するとともに、被控訴人が上記図柄を付して被控訴人商品を製造販売することは、不正競争防止法(以下「不競法」という。)2条1項1号又は2号の不正競争に当たると主張し、被控訴人に対し、著作権法112条1項、2項又は不競法3条1項、2項に基づき被控訴人商品の製造販売等の差止め及び廃棄を請求するとともに、亡A及び控訴人会社各自に対し、不法行為(著作権侵害)に基づく損害賠償請求又は不競法4条本文に基づく損害賠償請求として、所定の金員の支払を求めた事案である。

原判決は亡A及び控訴人会社の請求をいずれも棄却したので、亡A及び控訴人会社が原判決を不服として控訴した。

当審係属中の令和6年(2024年)8月8日に亡Aが死亡し、その相続人である控訴人X1、控訴人X2、控訴人X3及び控訴人X4が亡Aの訴訟承継人となった(以下、「控訴人亡A訴訟承継人ら」)。亡Aが有していた著作権は、遺産分割により控訴人X2、控訴人X3及び控訴人X4が取得した。

 

[控訴審]

⑷ 複製又は翻案の成否

ア 前記⑶のとおり、被控訴人図柄は本件テレビ作品に依拠して作成されたものであると認められるから、被控訴人図柄が本件テレビ作品の画像の複製又は翻案であるかを検討することとなる。

複製とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう(最高裁昭和53年9月7日第一小法廷判決)。また、翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決参照)。

() 別紙4「本件テレビ作品紋次郎」の画像(以下「本件画像」という。)は、別紙3対比表の「控訴人らの著作物の具体的表現」の「3」の画像のうち、「『川留めの水は濁った』より」とある一枚目の画像を拡大したものである。本件画像は、本件テレビ作品の第1話「川留めの水は濁った」の一場面の画像であり、本件テレビ作品において描かれた紋次郎が登場している。紋次郎は本件テレビ作品の主人公であり、本件画像に示されたのと同じ装いをし、その特徴をすべて兼ね備えた紋次郎の画像が、すべての本件テレビ作品に表現されている。このように、本件画像は、本件テレビ作品の紋次郎の画像を具体的に示すものであるから、本件画像を被控訴人図柄と対比することにより、本件テレビ作品の紋次郎の画像と被控訴人図柄の対比が明らかにされるものと認められる。そして、本件テレビ作品が本件小説の二次的著作物であることからすれば、このような本件テレビ作品の紋次郎の画像は、本件小説の二次的著作物であると認められる。

() 本件画像に登場する紋次郎は、股引に脚絆を付け、三度笠をかぶり、道中合羽を身に着け、口に細長い楊枝をくわえ、長脇差を携えた男性であり、左向きで、顔は横顔が見えており、右足が地面につき、左足が上がっていて、歩いているか又は小走りをしている姿であると認められる。

そして、かぶっている三度笠として、本件テレビ作品以外のテレビドラマや映画に登場する人物がかぶっている三度笠よりも大きなものが用いられていると認められる。次に、道中合羽は、縦縞の模様であり、紋次郎の膝のあたりまで長さがあって、これも、本件テレビ作品以外のテレビドラマや映画等に登場する人物が身に着けている道中合羽よりも長いものが用いられていると認められる。楊枝については、本件小説では約5寸、15センチメートル以上あると描かれているが(前記1⑴)、本件画像でも同程度の長さの楊枝が用いられていると認められる。

このように、本件画像の紋次郎は、①通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも大きな三度笠をかぶり、②通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長く、模様が縦縞模様である道中合羽を身に着け、③細長い楊枝をくわえ、④長脇差を携えているという特徴をすべて兼ね備える者として表現されている。

ところで、本件テレビ作品の放映前には、上記①ないし④の表現上の特徴の全てを兼ね備える人物が登場するドラマ、映画等が存在していたとは認められない(なお、上記①ないし④の特徴の全てを兼ね備える人物が登場する小説が、本件小説が書かれる前に存在したとも認められない。)。そのため、上記①ないし④の表現上の特徴をすべて兼ね備えるという点は、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる。

() 他方、被控訴人図柄は、別紙2「被控訴人図柄目録」記載のとおりであり、人物の特徴を誇張して手で描かれた絵であり、俳優を実写した本件画像とは表現の方法が異なり、本件画像と比較して、手書きの絵であることによる新たな創作性が加えられているといえる。しかし、三度笠をかぶり、道中合羽を身に着け、口に細長い棒状のものをくわえ、長脇差を携えた男性を描いたものであることは、被控訴人図柄を見た一般人が容易に理解することができると認められる。

そして、被控訴人図柄で描かれている人物は右向きで、顔は横顔が見えており、片方の足が地面につき、他方の足が上がっていて、歩いているか又は小走りをしている姿であると認められる。人物の顔は、口の周辺以外は三度笠で隠れており、三度笠は人物の顔に比べて非常に大きなものとして描かれている。道中合羽は太い縦縞の模様であり、人物の体の動きにより裾が空中に浮かび上がった状態で描かれているが、裾の部分を下におろした場合には地面に着くと思われるくらいの長さである。

口にくわえている細長い棒状のものは、これが楊枝であるかどうかは被控訴人図柄を一見して明らかであるとまではいえないが、人物の横顔の幅よりもかなり長いものとして描かれている。

() そこで、被控訴人図柄から、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる、前記①ないし④の表現上の特徴を感得し得るかについて検討する。

被控訴人図柄の人物は、三度笠をかぶっており、その三度笠は大きなものである。被控訴人図柄の三度笠は、人物の顔の大きさと比べたとき、本件画像の紋次郎のかぶる三度笠よりも更に大きなものであるが、これは、三度笠が大きいものであるという前記①の特徴を被控訴人図柄において強調して表現したことによるものであって、前記①の特徴を感得することを妨げることはなく、むしろ容易にするものといえる。そのため、被控訴人図柄から本件画像の前記①の表現上の特徴(通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも大きな三度笠をかぶっていること)を直接感得することはできるものと認められる。

被控訴人図柄の人物は、道中合羽を身に着けており、その道中合羽は縦縞模様で長いものである。被控訴人図柄の道中合羽は、人物の身長と比べたとき、本件画像の紋次郎が身に着けている道中合羽よりも更に長いものであるが、これは、道中合羽が長いという前記②の特徴を被控訴人図柄において強調して表現したことによるものであって、前記②の特徴を感得することを妨げることはなく、むしろ容易にするものといえる。

また、本件画像の人物が身に着ける道中合羽は、縞が細いのに対し、被控訴人図柄の人物が身に着ける道中合羽は、それよりも縞が太く表されているが、これも、道中合羽が縦縞模様であるという前記②の特徴の一部を被控訴人図柄において強調して表現したことによるものであって、前記②の特徴を感得することを妨げることはなく、むしろ容易にするものといえる。そのため、被控訴人図柄から本件画像の前記②の表現上の特徴(通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長く、模様が縦縞模様である道中合羽を身に着けていること)を直接感得することはできるものと認められる。

本件画像の紋次郎は、細長い楊枝をくわえているのに対し、被控訴人図柄の人物は、細長い棒状のものをくわえているが、それが楊枝であることは、一見しては明らかでないともいえる。しかし、口にくわえている細長い棒状のものが楊枝であることは容易に推測されるから、それが楊枝であることが一見しては明らかでないとしても、その点は、前記③の特徴を感得することを妨げるものとはいえない。そのため、被控訴人図柄から本件画像の前記③の表現上の特徴(細長い楊枝をくわえていること)を直接感得することはできるものと認められる。

被控訴人図柄の人物も、本件画像の紋次郎も、長脇差を携えているから、被控訴人図柄から本件画像の前記④の表現上の特徴(長脇差を携えていること)を直接感得することはできるものと認められる。

以上によれば、被控訴人図柄から、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる、前記①ないし④の表現上の特徴をすべて感得し得るものと認められる。そして、前記()のとおり、本件画像は、本件テレビ作品の紋次郎の画像を具体的に示すものであり、本件画像を被控訴人図柄と対比することにより、本件テレビ作品の紋次郎の画像と被控訴人図柄の対比が明らかにされるから、被控訴人図柄から、本件テレビ作品の紋次郎の画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる、前記①ないし④の表現上の特徴をすべて感得し得るものと認められる。

ウ 上記⑶及びア、イによれば、被控訴人図柄は、人物の特徴を誇張して手で描かれた絵であり、俳優を実写した本件画像とは表現の方法が異なり、本件画像と比較して、手書きの絵であることによる新たな創作性が加えられた別の著作物であるから、本件テレビ作品の紋次郎の画像の複製には当たらない。しかし、被控訴人図柄は、本件テレビ作品の紋次郎の画像に依拠し、その画像の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現に変更を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現したものであり、被控訴人図柄に接する者が本件テレビ作品の紋次郎の画像に係る表現上の本質的な特徴を直接感得することができるといえるから、被控訴人図柄は、本件テレビ作品の紋次郎の画像の翻案であると認められる。

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2025年11月12日水曜日

判例/一般向け法律実務書の侵害性

 

一般向け法律実務書の侵害性

平成170517日東京地方裁判所[平成15()12551]▶平成18315日知的財産高等裁判所[平成17()10095]

(2) 本件における原告各文献及び被告各文献のような一般人向けの法律問題の解説書においては,それを記述するに当たって,関連する法令の内容や法律用語の意味を整理して説明し,法令又は判例・学説によって当然に導かれる一般的な法律解釈や実務の運用等に触れ,当該法律問題に関する見解を記述することが不可避である。

 既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物との同一性を有する部分が法令や通達,判決や決定等である場合には,これらが著作権の目的となることができないとされている以上(著作権法13条1ないし3号参照),複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。そして,同一性を有する部分が法令の内容や法令又は判例・学説によって当然に導かれる事項である場合にも,表現それ自体でない部分において同一性を有するにすぎず,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。

また,手続の流れや法令の内容等を法令の規定に従って図示することはアイデアであり,一定の工夫が必要ではあるが,これを独自の観点から分類し整理要約したなどの個性的表現がされている場合は格別,法令の内容に従って整理したにすぎない図表については,誰が作成しても同じような表現にならざるを得ない。よって,図表において同一性を有する部分が単に法令の内容を整理したにすぎないものである場合にも,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。そのように解さなければ,ある者が手続の流れ等を図示した後は,他の者が同じ手続の流れ等を法令の規定に従って図示すること自体を禁じることになりかねないからである。

さらに,同一性を有する部分が,ある法律問題に関する筆者の見解又は一般的な見解である場合は,思想ないしアイデアにおいて同一性を有するにすぎず,思想又は感情を創作的に表現した部分において同一性を有するとはいえないから,一般の法律書等に記載されていない独自の観点からそれを説明する上で普通に用いられる表現にとらわれずに論じている場合は格別,複製にも翻案にも当たらないと解すべきである。けだし,ある法律問題についての見解自体は著作権法上保護されるべき表現とはいえず,これと同じ見解を表明することが著作権法上禁止されるいわれはないからである。

そして,ある法律問題について,関連する法令の内容や法律用語の意味を説明し,一般的な法律解釈や実務の運用に触れる際には,確立した法律用語をあらかじめ定義された用法で使用し,法令又は判例・学説によって当然に導かれる一般的な法律解釈を説明しなければならないという表現上の制約がある。そのゆえに,これらの事項について,条文の順序にとらわれず,独自の観点から分類し普通に用いることのない表現を用いて整理要約したなど表現上の格別の工夫がある場合はともかく,法令の内容等を法令の規定の順序に従い,簡潔に要約し,法令の文言又は一般の法律書等に記載されているような,それを説明する上で普通に用いられる法律用語の定義を用いて説明する場合には,誰が作成しても同じような表現にならざるを得ず,このようなものは,結局,筆者の個性が表れているとはいえないから,著作権法によって保護される著作物としての創作性を認めることはできないというべきである。よって,上記のように表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎない場合には,複製にも翻案にも当たらない。

他方,表現上の制約がある中で,一定以上のまとまりを持って,記述の順序を含め具体的表現において同一である場合には,複製権侵害に当たる場合があると解すべきである。すなわち,創作性の幅が小さい場合であっても,他に異なる表現があり得るにもかかわらず,同一性を有する表現が一定以上の分量にわたる場合には,複製権侵害に当たるというべきである。

本件において著作権侵害を判断するに当たっては,これらの観点から検討する必要がある。

[(上記総論部分について)控訴審同旨]

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判例/学術書(医学書)の侵害性の判断基準(解剖実習の基本書に対する侵害性を認めなかった事例)

 

学術書(医学書)の侵害性の判断基準(解剖実習の基本書に対する侵害性を認めなかった事例)

平成130927日東京高等裁判所[平成13()542]

2 本件書籍は,主として医学部の学生を対象とした解剖学実習のための手引き書であり,各2年間の2回にわたる米国での解剖学実習の指導を終えて帰国した控訴人が,藤田恒夫との共著として,解剖の手順・手法や,人体の各器官の構造,各器官相互の位置関係,各器官と動静脈や神経叢との位置関係等の説明だけでなく,これらの説明に加えて臨床的な説明をも盛り込み,また,末梢的な解剖学名をできるだけ省略し,暗記より理解を重視するとの方針の下に,形態学的な面白さや,臨床的な意義をできるだけ多く織り込もうとしたものである。このように,本件書籍は,他の解剖実習書とは異なる特色を持ったものであり,このこともあって,これを全体としてみれば,著者の思想を創作的,個性的に表現した学術の著作物であると認めることのできるものとなっている。また,本件書籍を第8版とする書籍は,1962年に第1版が発行されて以来,版を重ねて1991年には第9版が発行されるに至るなど,解剖実習の手引き書として定評のあるものとなっている。

しかし,本件書籍に記載されているような,人体の各器官の構造,各器官と動静脈及び神経叢との各位置関係等についての客観的な事実はもちろん,解剖の手順・手法も,これらに関する考え(アイデア)も,それ自体は,本来,誰に対しても自由な利用が許されるべきものであって,特定の者に独占させるべきものではないことは,当然というべきである。したがって,解剖実習書である本件書籍についていえば,著作権法上の著作物となる根拠としての表現の創作性となり得るのは,表現された客観的事実自体,手順・手法自体やアイデア自体の有する創作性ではなく,これらの創作性を前提にし,これを当然の出発点としてもなおかつ認められる表現上の創作性に限られるものというべきである。他方,本件書籍のような学術の著作物においては,解剖の手順・手法,人体の各器官の構造,各器官相互の位置関係,各器官と動静脈や神経叢との位置関係等について,これを正確に表現することが重視されるため,個々具体的な表現においては,個性的な表現がむしろ抑制される傾向が生じることは,避けられない。そして,これらのことが相まって,このような解剖の手順・手法,人体の各器官の構造,各器官と動静脈及び神経叢との個々的な位置関係についての事実,ないし,これらの手順・手法や事実を前提とした単一の特定のアイデアを記載するときには,個々の文としてみる限り,著作権法上の著作物としての性質(著作物性)の根拠となる表現上の創作性(創作的ないし個性的な表現)は,その存在の余地がなくなる,あるいは,存在は認められても,その類似範囲(それに類似しているとして権利を及ぼすことのできる範囲)は非常に狭くなる場合が多くなることも,避けられないところとなる。もっとも,本件のような学術の著作物においても,ある手順・手法や事実を前提とした単一の特定のアイデアではなく,複数の事項を前提としたあるまとまりをもったアイデアないし思想についてみれば,その表現の仕方には,広い幅にわたって多数のものがあることになるから,著作の幅が広がり,個々の著作者の考え方によって,創作的ないし個性的な表現を採ることが十分に可能になるということができる。

本件書籍についても,その全体を典型とする,あるまとまりのある部分をみれば,上記のような特徴を持った解剖実習のための手引き書として,思想又は感情を創作的に表現した著作物として保護されるに値するものということができる。しかし,その中の単一の特定のアイデアを一つないし二つの文にまとめたにすぎない部分だけを取り上げると,その表現上の創作性ないし個性を認めることができず,これを独立の著作物として認めることができない場合が多いであろうことは,容易に予測されるところである。

控訴人は,原判決の著作権侵害に関する一般的説示について,当審において前記のとおり反論するが,上記に判示したところと相反する限度においては,いずれも採用することができない。

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2025年11月7日金曜日

判例/著作権侵害における「依拠」性

 

著作権侵害における「依拠」性

▶昭和590210日東京地方裁判所八王子支部[昭和56()1486]

そこで、次に、被告の著作権侵害行為の有無について検討するに、そもそも著作権侵害とは既存の著作物に依拠し、これと同一性或いは類似性のある作品を著作権者に無断で複製することによつて生ずるもので、仮に第三者が当該著作物と同一性のあるものを作成したとしても、その著作物の存在を知らず、これに依拠することなしに作成したとするならば、知らないことに過失があつたとしても著作権侵害とはならないものと解すべきである(昭和5397日最高裁第一小法廷判決)。従つて、依拠した結果同一性或は類似性のあるものを作成すると侵害行為となるが、たとえ依拠した場合でも換骨奪胎して同一性或は類似性のないものを作成したとすれば、侵害行為は該当しない。

そうだとすると、著作権侵害を判断するに当つては、先ず既存の著作物に依拠したか否かの点が前提となり、依拠した場合に同一性或は類似性を判断することになる。但し、第三者が既存の著作物と同一或は類似のものを作成した場合、それは依拠したことを推認する資料となるうるのであつて、それが酷似すればする程その度合は強くなるといえる。

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2025年11月1日土曜日

判例/「情を知って」(113条1項2号)の意義

 

「情を知って」(11312)の意義

▶平成22226日東京地方裁判所[平成20()32593]▶平成220804日知的財産高等裁判所[平成22()10033]

前記のとおり,本件韓国語著作物は控訴人の翻訳権を侵害するものであり,また,】被告らは,原告から,各図書館等で所蔵する本件韓国語著作物が原告著作物を違法に複製・翻訳したものである旨の警告を受け,原告が株式会社高麗書林(韓国の高麗書林とは別法人)外1名を被告とする別件訴訟(当庁平成20年(ワ)第20337号事件)において著作権侵害を主張して争っているという事情を認識してはいるものの,本件韓国語著作物を原告の著作権を侵害する行為によって作成されたものであると知って所持しているものと【認めることはできないし,著作権法113条1項2号の「情を知って」とは,取引の安全を確保する必要から主観的要件が設けられた趣旨や同号違反には刑事罰が科せられること(最高裁平成6年(あ)第582号同7年4月4日第三小法廷決定参照)を考慮すると,単に侵害の警告を受けているとか侵害を理由とする訴えが提起されたとの事情を知るだけでは,これを肯定するに足らず,少なくとも,仮処分,判決等の公権的判断において,著作権を侵害する行為によって作成された物であることが示されたことを認識する必要があると解されるべきところ,本件において,本判決以前に,そのような公権的判断が示された事情はうかがわれず,被控訴人らについて同号】の「侵害とみなす行為」が成立するということもできない。

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判例/侵害とみなす行為(法113条1項2号)の意義と解釈

 

侵害とみなす行為(11312)の意義と解釈

平成120523日東京高等裁判所[平成11()5631]

2 頒布の差止めについて知情の主張・立証がないとの主張について

控訴人らは、頒布が禁止されるのが「情を知って」の場合に限られることは、著作権法11312号が明文をもって定めるところであるのに、被控訴人らは、頒布差止め請求についての「情を知って」という要件を主張していない旨主張する。

しかし、著作権法11312号は、著作権侵害行為、著作者人格権侵害の行為や著作権法60条の規定に違反する行為によって作成された物がいったん流通過程に置かれた後に、それを更に転売・貸与する者を全部権利侵害とすることには問題があるために、その場合に限って「情を知って」との要件を付加しているものと解すべきであり、控訴人らは、本件各手紙を本件書籍に掲載して出版した当の本人であって、物がいったん流通過程に置かれた後に、それを更に転売・貸与する者ではないから、控訴人らの行為は、同法11312号にいう「頒布」の問題として扱われるべき事柄ではないというべきである。

控訴人らは、本件各手紙を本件書籍に掲載して出版行為をすること自体が許されなかったのであるから、右違法な行為によって自らが作成した物を自ら頒布することもまた許されないことは、むしろ自明である。すなわち、本件各手紙を本件書籍に掲載して出版したうえで頒布するという控訴人らの一連の行為全体が、全部であれ一部であれ、複製権を侵害する行為及び著作権法60条の規定に違反する行為に該当するというべきである。

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2025年10月29日水曜日

判例/編集著作物性,編集著作権の侵害性

 

編集著作物性,編集著作権の侵害性

平成140328日東京地方裁判所[平成10()13294]

著作権法12条1項は,「編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。)でその素材の選択又は配列によって創作性を有するものは,著作物として保護する。」と規定するところ,編集著作物に該当する具体的な編集物に記載,表現されているもののすべてが編集著作権の対象となるものではなく,編集著作権の対象として,その選択,配列の創作性が問題とされる素材が何であるかは,具体的な事案に即して当該編集物の性質,内容によって定まるものである。そして,定期刊行物である雑誌についていえば,編集著作権は,個別の記事を構成する文章や写真の著作権と区別して観念することができるものであるところ,この場合に編集著作権の対象となるのは,当該号全体を通じての主題(特集号など)を決定し,掲載する記事やグラビア等の写真の主題を定め,掲載する個別の記事,写真,イラスト等を取捨選択して,その配列等を決定するという編集者の知的創作活動の結果としての,雑誌における全体的構成,記事,写真等の選択,配列であるというべきである。

これを本件についてみると,本誌は,季刊の美容業界誌であり,本件との関係において,本号で選択・配列の創作性の素材として編集著作権の対象となるのは,「美容室 TAYA」チェーンを展開する株式会社T及びその代表取締役であるCを紹介する内容の記事を特集記事として雑誌の中核となる部分に一定の頁数を配し,同社の履歴,Cの経歴等,同社の代表的美容師の経歴等を説明し,同社の美容室において使用されている化粧品やその経営に係る各美容室(サロン)を紹介する内容の記事及びこれらに関する写真を配列した点にあるものというべきである。すなわち,本号における本件特集記事は,株式会社Tを対象とする特集であることを示す扉頁(本号20頁)以下,同社の履歴(同21頁),Cの経歴・人物(同22,23頁),同社を代表する3人の美容師の経歴等(同24~29頁),同社の作品である髪型(同26~43頁),同社の美容室において使用されている化粧品(同44,45頁)及びその経営に係る各美容室(サロン)(同132,133頁)を文章及び写真により紹介するものであるが,これらの一定の主題の下にまとめられた文章及び写真の,選択及び配列に編集著作物としての創作性が認められるものということができる。したがって,記事中の個々の文章表現や個別の写真に付された説明文の表現内容,配置等は,編集著作権の対象となるものではない。

そうすると,本件において原告会社が編集著作物についての著作者人格権及び編集著作権の侵害として主張する改変部分については,いずれも,個々の文章表現や個別の写真に付された説明文の表現内容,配置に関するものであって,編集著作物の対象としての素材の選択・配列を改変するものではないから,そもそも編集著作物についての著作者人格権の侵害や編集著作権の侵害を問題とする余地はないというべきである。

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2025年10月26日日曜日

判例/著作権(広義)侵害の意義

 

著作権(広義)侵害の意義

▶平成71019日京都地方裁判所[平成6()2364]

1 著作権侵害行為は、既存の著作物を利用してある作品を作出する場合に成立するが、その利用の態様としては、①既存の著作物と全く同一の作品を作出した場合、②既存の著作物に修正増減を加えているが、その修正増減について創作性が認められない場合、③既存の著作物の修正増減に創作性が認められるが、原著作物の表現形式の本質的な特徴が失われるに至っていない場合、④既存の著作物の修正増減に創作性が認められ、かつ、原著作物の表現形式の本質的な特徴が失われてしまっている場合が存在する。そして、著作権(著作財産権)との関係からいえば右①②の場合は著作権中の複製権(著作権法21条)の侵害であり、右③の場合は著作権中の改作利用権(同法27条)の侵害であり、右④の場合には、全く別個独立の著作物を作出するものであって、著作権侵害を構成しない。また、著作者人格権との関係からいえば、右②③の場合が同一性保持権の侵害であり(最高裁判所昭和55328日判決参照)、右④の場合は著作財産権の場合と同様、侵害にあたらない。したがって、著作権ないし著作者人格権に対する侵害の有無は、原作品における表現形式上の本質的な特徴自体を直接感得することができるか否かにより決められなければならない。

2 そして、①著作物が思想又は感情を創作的に表現したものであって、同一人による著作物であっても個々の著作物により別々にその表現は異なるものであり、著作者の思想ないし感情は、いわばその著作物の個性に具現されていると考えられること、②著作権の享有にいかなる方式の履行も要しないことを考えると、前項にいう「表現形式上の本質的特徴」は、それぞれの著作物の具体的な構成と結びついた表現形態から直接把握される部分に限られ、個々の構成・素材を取り上げたアイデアや構成・素材の単なる組み合わせから生ずるイメージ、著作者の一連の作品に共通する構成・素材・イメージ(いわゆる作風)などの抽象的な部分にまでは及ばないと解するべきである。

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判例/「自然科学上の学術的見解」は著作権法によって保護されるか

 

「自然科学上の学術的見解」は著作権法によって保護されるか

▶平成28428日東京地方裁判所[平成27()18469]平成281110日知的財産高等裁判所[平成28()10050]

1 争点(1)(本件被告記載1及び2が原告の複製権又は同一性保持権を侵害するか)について

原告は被告による本件被告記載1及び2が本件原告記載に係る原告の複製権等を侵害すると主張するので,以下検討する。

著作権法において保護の対象となるのは思想又は感情を創作的に表現したものであり(同法2条1項1号参照),思想や感情そのものではない。本件において本件原告記載と本件被告記載1及び2が表現上共通するのは「重力波と想定される」「波動による(もの)」との部分のみであるが,この部分はEMの効果に関する原告の学術的見解を簡潔に示したものであり,原告の思想そのものということができるから,著作権法において保護の対象となる著作物に当たらないと解するのが相当である。

したがって,被告による複製権侵害を認めることはできず,また,これを前提とする同一性保持権侵害の主張も採用することができない。

 

[控訴審同旨]

以上を前提に,本件控訴人記載の著作権侵害の成否を判断するに,本件においては,本件控訴人記載と本件被控訴人記載1及び2とは,表現上「重力波と想定される」,「波動による(もの)」との部分が共通性を有するといえる。そして,上記共通性を有する部分は,EMの効果に関する控訴人の自然科学上の学術的見解を簡潔に示したものであり,控訴人の思想そのものであって,思想又は感情を創作的に表現したものとはいえないから,著作権法において保護の対象となる著作物に当たらないと解するのが相当である。

したがって,本件被控訴人記載1及び2は,著作物の複製に当たらないから,複製権を侵害するものとはならないし,また,被控訴人による複製権侵害を前提とする同一性保持権の侵害も認められず,控訴人の著作者人格権を侵害することにもならない。

控訴人は,「EMの効用は,従来の常識である横波の波動とは異なる別の波動が要因となっている」との思想(学術的見解)を「重力波が縦波であること」との例を用いて,「私はEMの本質的効果は,A先生が確認した重力波と想定される縦波の波動によるものと考えています。」と創作的に表現したものである旨主張する。

しかし,本件被控訴人記載1及び2が複製に該当するためには,本件控訴人記載と本件被控訴人記載1及び2の共通性を有する部分が,著作権法による保護の対象となる思想又は感情を創作的に表現したものであることが必要であることは前記のとおりであり,そうである以上,両者の共通性を有する部分ではない本件控訴人記載の「縦波の」という部分に創作性があるという控訴人の上記主張はその前提を欠くものであるといわざるを得ない。

したがって,控訴人の上記主張は採用することができない。

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